2011年4月29日金曜日

まぜまぜ中華おこわ



今年も友人宅で味噌作りをさせていただきました。

毎年先生役を務めてくれる友人に感謝!
震災一週間後、待望のお風呂を頂いたのもこの友人宅。
いつもいつも本当にお世話になっています。
ありがとう!



味噌作り会は久しぶりの女子会でもあったので
お昼に中華おこわを持って行きました。

幼い頃から我が家の年末の餅つきの〆は、中華おこわ。
父の十八番です。

震災後ずーと食べたかったんです。

えぇ、食べたいものが頭の中をぐるぐる渦巻いておりました。
根っからの食いしん坊なんですね、私。

父のそれはラードを使うこってり濃厚味ですが
今回はヘルシー志向&炊飯器の簡単バージョン。

炊き上がったおこわに具を混ぜ込むので
失敗なくたくさん作ることが出来ます。









材料

もち米    3カップ
米      1カップ
干ししいたけ 5枚・・・もどす
豚肉     200グラム・・・生姜・醤油・酒で下味をつける
干しエビ   10グラム・・・もどす
ゆで筍    80グラム
するめ    細切りにしたするめを半袋
        (何グラム入りか見忘れました)
うずら卵   10個



作り方

1 材料はどれも1センチ弱の角切りにする

2 フライパンにごま油を入れ、豚肉・干ししいたけ・
  干しエビ・筍・するめを炒める。

3 2に干ししいたけの戻し汁半カップ・オイスターソース
  醤油各大匙1強・生姜汁少々・お好みで塩を加えて煮る

4 米は、洗って1時間ざるに上げておく
  3の煮汁を入れ、炊飯器のおこわ4合線やや上まで水を入れ炊く

5 炊き上がった4に3を混ぜ込んで、うずら卵と小口切りの
ねぎを散らして出来上がり。
 








震災直後は、味噌作りの女子会なんて想像できませんでした。
楽しいひと時でパワーアップ!

さぁ、まだまだ終わらない二階の片付けをしましょう。



2011年4月25日月曜日

嬉しいこと一つめ 震災 その5



拙い文で綴っております震災シリーズ
(えっ、いつシリーズ化したの?)
を楽しみにしてくださっている方が思いのほか
たくさんいらっしゃるようで・・・
月草☆感激の突き当たりです。

ありがとうございます。

しかしはや、その5で行き詰っております。

書いておきたいことはあるのですが、どれがどの日だったか
全くもって記憶があやふや。
時系列に話を進めたかったのですが、申し訳ありません。
テーマごとに、しかも思いついた順にいきたいと思います。



多分13日だったと思うのですが、水汲みに並んでいた時
(この日は四時間、子供達と交代しながら並びました)
赤いバイクの後姿発見!

えっー郵便屋さんもう働いている!
日本人ってすごい! と感動しました。


帰宅後直ぐに、まだ連絡が取れていなかった家人と私の
両親に葉書を書きました。
(実際に連絡がついたのは、この葉書より電話の方が先でしたが)


そして我が家にも震災後一週間ほど経ったころから
嬉しい嬉しいお見舞いのお便りがぞくぞくと
全国から届くようになりました!

皆さん、その節はありがとうございました。


中には往復はがきで下さった恩師・友人も。
一言だけでいいから元気ならお返事ください!
とあり、涙が止まりませんでした・・・

当方めちゃめちゃ元気なので、長文をぎっしり!
読み疲れするほどのお返事をさせていただきました。(笑)



電話・メール・手紙・ブログへのコメント・・・
(gmailアドレスにメールしてくださった方へのお返事が
すっかり遅くなってしまって、本当にごめんなさい)
 
顔は見えずとも言葉と文字で繋がる人との絆

震災で再確認できた嬉しいことの一つです。



2011年4月24日日曜日

春らんまん、苺入りチーズケーキ



今日は雨も上がり、暖かな日曜日となりました。
桜も満開の仙台です。

震災を機に二階の模様替えを決行中の我が家。
いまだ終わりません・・・

過日の大きな余震で抜け落ちた本棚の棚板を
一つ一つ金具で固定する所から始め
そのついでに10年ぶりの徹底的な本の整理も・・・


そんなこんなで日々片付け。


世話はせずとも庭には水仙・木蓮・チューリップ
ムスカリが一斉に咲きました。
一気に春を届けてくれた優しい花達を愛でながら
お茶でもしましょう。

家人からリクエストのあったチーズケーキに
軽くつぶした苺を入れてみました。

苺の香りが嬉しい期間限定チーズケーキです。
冷蔵庫で一晩寝かした方が味が落ち着きます。








2011年4月23日土曜日

3月12日 震災 その4



ようやく朝になりました。
火の気が全くないので、寒さが四方八方から襲ってきます。

皆を起こさないようにそっと布団から抜け出し
静かに外に出ました。

いつものようにポストを覗きました。
当然ですが新聞は配達されていません。

やはり昨日起こったことは現実。
新聞も配達できないほどの事だったんだ
と思い知りました。


道路にはエンジンのかかった車が何台も止まっています。
余震が続くので、車の中で暖をとりながら
一晩過ごされたのでしょう。

もう水は出ませんでした。



3月12日 朝食
お味噌汁   豆腐・油揚げ・ねぎ・大根
おにぎり
パン
バナナ

食後にキシリトールガム

記憶が曖昧ですが、多分こんな感じでした。

牛乳を温めて飲みたかったのですが、鍋が汚れるので断念。
燃料を大切にしなくてはと思い、大根は火が通りやすいよう
超薄切りにしました。

冷凍室のものは全く解けていません。
部屋の中が冷蔵庫のように冷たいので、数日は解けないかも。
慌てて食べる必要はなさそうです。

パンとバナナは少しずつ皆で分け合いました。



朝になりラジオから聞こえてくる状況は、ますます深刻です。
暫くライフラインの復旧はなさそうなので
水の使い方を皆で話しました。

たっぷり寝て元気一杯の息子には、
自転車で町内一周の偵察を頼みました。

これが大当たり。
無駄に体力のある中学生男子が結構ウロウロしていたようで
どこでまだ水が出ているとか、配っているとか
様々な情報を仕入れて帰ってきました。



そして娘も帰ってきました!

「ただいま~」

玄関から娘の声が聞こえてきた時の嬉しかったこと!
思わず飛び上がりました。

「お帰り~」

娘の顔が朝日の中でキラキラ輝いて見えました。
本当に親ばかって恐ろしい・・・
俄然元気がムクムク湧いてきました!


お味噌汁とおにぎりの朝食を食べながら
昨日~今朝までを笑顔を交えて話す娘。

先生方に手厚くお世話していただいたこと
たくさんの友人達とお喋りしながら過ごしたこと
お腹がすいたこと・・・

思いのほか楽しそうに話すので
よかった! よかった! 何度も頷きながら聞きました。


大勢の方にお世話になり、ご心配おかけしました。
本当に感謝いたしております。

“ありがとうございました”



そしてお昼過ぎには思いがけず
お隣さんも無事お帰りになりました!
よかったー。

高速が封鎖されているので、そろそろと下を通って
帰っていらっしゃったそうです。
ガソリンスタンドは全て閉まっていたとか。


いろんな方との再会が心底嬉しい一日となりました。



この日の昼食・夕食 
非常食のごはん・お味噌汁・缶詰・お菓子・果物等を
食べたように思います。



2011年4月19日火曜日

3月11日 震災直後その3



当日の事がだらだらと長文になっています。
今日で11日は終わる予定です。
暫しお付き合いをお願い致します。



震災直後その3


夕暮れが刻々と迫り、部屋の中にいても寒さが堪えて来ました。
子供達にもう一枚上に羽織るものを用意し
私もダウンの中にセーターを一枚、靴下も一足重ねました。



目を凝らしてよく見ないと、顔の判別がつかなくなってきた頃
まさかの家人が帰ってきました。

午後から東京出張と聞いていたので、今頃は新幹線に缶詰かな
と思い込んでいただけに、嬉しい帰宅でした。

家人の顔を見て、心が少し軽くなりました。

帰ってきてくれて本当にありがとう。


さすがの息子も今日は素直に嬉しそう。
早速、地震が起こった時の事を中学生二人が話しています。

家人によると、どうも街中は車が大渋滞を起こしていて
二進も三進も動かない様子。

災害時、娘には夕方になったら絶対に歩かず学校なり
避難所で一夜を明かすように言っていたので、
今日中の帰宅はないと判断。
私達も無理に動かず、夜が明けるのを待つと決めました。



そう決まれば、さっさと食べて布団に入るのが一番。
何しろ寒いのです。
夕食にしました。

レシピブログにも参加しているので、思いだせる範囲で
その日に食べたものを書き出したいと思います。




3月11日 夕食

冷凍の生味噌ラーメン
にらまんじゅう
かぼちゃ味の乾パン
水・・・各自ペットボトルを決めて名前を記入。


お風呂場の水だけがほんの少しちょろ・ちょろと出ていたので
今ならラーメン鉢がざっと洗えると思い、ラーメンを作りました。

こってり味噌味に加え、ねぎやチャーシューも入っているので
食べ盛りの中学生二人もそこそこ満足。
アツアツが何よりのご馳走でした!

にらまんじゅうはフライパンのまま食卓にだしたような・・・
足らずは乾パンと水でお腹を膨らませてもらいました。

デザート? にキシリデントガムを配りました。



布団に入る前にコップ半分の水で口をゆすぎ
とりあえず寝る前の身支度完了。
私は気休めに化粧水を顔にふりかけてみました。


もちろんラジオはつけっぱなしです。
窓際に明かりを置いて
人の気配が感じられるようにしておきました。

あまりに寒いので、寝始めは皆コートを着たまま布団へ。
毛布と布団の上から、夏がけとタオルケットまでかけてみましたが
どうにも寒くて仕方がありませんでした。

まだ七時過ぎだったように思います。


「こんな早くに寝られねー」
とのたまっていた息子は、3分としないうちに寝息を立て始めました。

彼は余震にも負けず勝ち続け、そのまま朝までぐっすり。
そして翌朝の第一声が

「やっぱよく眠れなかったー」

彼は平和です、さすが下の子です。



遅くに友人が娘さんの安否確認に訪れました。
直ぐに職場に戻らなければいけないとか。
Aちゃんの顔を見て安心し
私達に何度もよろしくと頭を下げ戻っていきました。

ラジオからは辛いことばかり・・・

でも、こうやってお互いの無事を実際に確認する度に
少しずつ少しずつ落ち着いていったように思います。



明けない夜はない


一晩中ラジオを聞いて
何度も寝返りを打って

ようやく白々と夜が明けてきました。




2011年4月17日日曜日

3月11日 震災直後その2



一ヶ月近く水もやらず放置していたのに
今年は特別大きな花を咲かせてくれました。
ありがとう!








震災直後その2

すでに停電中なので、インターホンは使えません。
大声でご挨拶しながら、門扉を開け人の気配のするお庭の方へ。

お互いの無事をうるうるしながら喜びあい、早速移動。
途中コンビニが開いていたら、お水を買おうと話ました。


二人でそろりそろりと移動中も、電線がゆさゆさと揺れ
上を見たり、左右を確認したり何しろ忙しい。
なるべく電柱のない道を通ることに。

道路には毛布をかぶって家の外に出ている方が
大勢いらっしゃいました。



普段は無駄に明るいコンビニも当然のことながら真っ暗。
中に人影が見えたので、声を掛けてみるとどうぞとのお返事。

ありがたくお水とおにぎりを買わせていただく。
おにぎりを人数分と思ったけれど
数も少ないうえに、後に年配の方が数人いらっしゃったので
子供達の数だけ確保。

今思うとこの時、日持ちのするパンやカップ麺なども
購入しておけばよかったのです。
後日並んでも食料が変えない状況に陥るなんて
全く考えが及びませんでした。

手作業の会計にかなり手間取り時間が経過。



コンビニを出ると、外は異様な空気に包まれていました。

信号が機能していないので、自動車が数珠繋ぎです。
雪が舞い、クラクションが鳴り・・・
車の中にいる人達の苛立ちが、外を歩く私達にまで伝わってきます。


一瞬時が止まったような、モノクロの別世界に迷い込んだような
今までに経験したことのない空気感でした。



中学校に着くと、息子の友人達が○○くんのお母さーん
っといつもの笑顔で挨拶してくれます。

緊張感なくふざけあう子供達の姿にホッ!
思わず笑みがこぼれました。

しかし息子は一足違いでに先生に付き添われ、
集団下校したとのこと。

あちゃ~、コンビニが余計だったかしらん?
しかし、怪我もなく元気な事は確認できたのでひとまず安心!


災害時には、私がつれて帰ると約束していた友人の娘Åちゃんを
引き渡していただく。
「私、泣かなかったよー」
と笑顔で駆け寄ってきた彼女が愛おしい。

あー、本当に無事でよかった!



追い討ちをかけるかのように、無情にも雪は激しくなっています。
でも、まだ興奮しているせいか寒さは感じません。



急ぎ帰宅すると、息子はまだの様子。
少しすると、別の道からどやどやと集団が歩いてきました。

その中から、息子がひょっこり顔をだし
「ただいま~」
「お帰り~」
今日のただいまは、いつもの何倍も何十倍も嬉しい!

こんな時だけ
何はなくても元気が一番!と都合よく思う私です。


先生方雪の中、無事に送り届けてくださって
本当にありがとうございました! 感謝です。



家に入ろうとして、玄関先で思案。
家具こそ倒れてはいないけれど、床にはいろんな物が
散乱しているはず。
今日は全員スリッパを履かないと・・・

皆が今日中に帰宅すると信じて
六人分を玄関マットの上に並べておきました。

が、結局この日スリッパを使ったのは四人。



さて、五時半には暗くなります。
それまでにやるべきことは何?

リビングの机上をざっと中学生二人に片付けてもらい
ラジオ・懐中電灯・災害時用ろうそく・チャッカマン
電池の入った缶を並べ、本当に使えるのか点検してもらう。


スイッチの入ったラジオから
・・・・・津波のニュースが流れています・・・・・


災害時用に7.8年前に買ったカセットコンロを押入れから出す。
一度も使ったことがないので、箱から出してこれも点検よろしく。
すぐ使えるようにセットしておいてね。

今日は、家具のない一階の部屋に皆で寝ましょう。
二階に布団を取りに行こうと階段へ。
ガラス片が散乱している。踊り場の花瓶かな?
これは危ない。
ほうきで破片をざっざっと廊下の端へ追いやりました。

ラジオがとても気になりましたが
日が暮れるまでにやるべきことをやり終えなくては。

戸をふさいでしまった冷蔵庫も移動しないと。
乾パン・ビスケット・お菓子も出しておこう。
冷蔵庫には何が入っていたかしら?
夕食は何にしよう?

今日から新潟のご実家に帰られたお隣さんは
無事ついているかしら?
明るいうちに、お隣さんの家も一度見回りにいかないと。



街中の高校に通う娘とは全く連絡がとれていません。
あの時間、まだ模試の最中だったら学校なので大丈夫。
でも帰宅途中だったら・・・

娘の事を考えると熱いものがこみ上げてきます。


娘は絶対大丈夫! 
そう自分に言い聞かせて、次々と浮かぶ
夕暮れまでにやるべきことをこなしていきました。




2011年4月14日木曜日

3月11日 震災直後その1



今、振り返るとあっという間の一ヶ月でした。

ブログを書くことに、色々とためらいもあります。
我が家は家もあるし、皆元気ですから。

けれど、覚えているうちに書き留めておくことは
私にとっても子供達にとっても後々必要かなと思い
震災直後の一週間ほどを思い出そうと思います。

ご存知の通りこんな私ですから、できるだけ軽く淡々と。




3月11日  2時46分頃

この日、私は珍しく音楽もラジオもかけず
ただぼっーと一人で新聞を読んでいました。
ですから緊急地震速報を聞いていません。

カタカタと小さな音がし出した時、
あっ、地震だと思い椅子から立ち上がりました。

そこに神戸の母から電話。
電話の子機をもって、私は悠長にも食器棚を押さえに。

「今から大きな地震がいくらしいから、気ぃつけよ!」
「うん、カタカタもう始まってるよ。」


途端ぐらぐらと立っていられない程の揺れ。
あちこちからガッシャンガッシャンと凄まじい音。

電話の向こうにその音が聞こえているのか
「気ぃつけよ!」と母はひたすら繰り返します。

何を母に言ったのか、私は覚えていません。
これが後々親不孝の元になるとは・・・。


私の目の前には、北欧の黄色いガラス製の直径30cm程の
丸い照明がワイヤー一本でぶら下がっていました。
ダイニングテーブルの上に低めに取り付けられています。

それが180℃、半円を描くように右に左に大きく揺れます。
このワイヤーが切れて、私の頭に向かってきたら・・・


二時間サスペンスの冒頭部分で、頭から血を流して
横たわる無名女優の姿がなぜか浮かびました。
こんな時でもやっぱり私は関西人。

片手で照明を時々押さえつつ、食器棚も押さえつつ・・・


今思うとバカですね。


食器棚もテレビもリビングの棚も大きな家具は
耐震性の突っ張り棒や止め具でがっちり壁に止めてあります。

食器は割れてもその気になったら後でいくらでも買えます。
でも押さえにいっちゃうんです、主婦ですから。


後に母から聞いたところによると、
「キャー」という私の叫び声とともに電話が切れたそうです。

私の住む地域は、電気が通るまで
固定も携帯も公衆電話すら使えませんでした。

私の叫び声を聞いてしまったばかりに母はその後
眠れぬ日々を過ごすことになったのです。
一生分の親不孝をしてしまいました。
ごめんなさい。



本当に長い長い揺れでした。


最後には
「お願いですからもう止めてください」
と声に出して何度も何度も懇願していました。

ついに大きな揺れが止まりました。
大きく深呼吸をして、自分に渇!を入れ
まず水を溜めにお風呂場へ直行。

地震がきたらお風呂場に水を溜めるよう
子どもの頃から母に口すっぱく言われていたので
直ぐに体が動きました。

踵を返して、台所で飲み水を確保。
いつも浄水器で作ったアルカリ水をやかん二つには
常備してあります。
が、
絶対断水になると思ったので、
鍋にも水をどんどん溜めていきました。

けれど直ぐに土色の水に変わってしまい
飲み水はもう溜めることができません。

浴槽の水もすでにまっ茶。
しかしこれは気にせず、溢れる寸前まで溜めて蓋をしました。

水を溜め終わって一息ついた時に
急に涙と笑いがこみ上げてきました。
今まで無我夢中で全く気がつかなかったのですが
まるで100メートルダッシュをした時のように
ハァハァ息が上がっているのです。

ふと気がつくと、台所の床に飛び散っていた細々とした物が
全てカウンターの上に乗せられていました。

誰が片付けたの?
そう、答えは私。

短い時間の間に色々していたようです。
記憶にはありませんが・・・。


この間も大きな余震が時々あり、念仏のように
「お願いですからもういいです」
と繰り返しました。


さて、地元中に通う中学生の息子を迎えに行かなくては。

ご近所の同級生のママと一緒に行こうと思い
ダウンを着て靴を履き、ふと・・・
家事室に戻りマイバックに財布を入れました。



2011年4月11日月曜日

・・・あれから一ヶ月



ご無沙汰しております。
ご心配をお掛けし続け、本当に申し訳ありません。

どっこい、月草元気です!


あれから一ヶ月、放置状態にもかかわらず
ご訪問してくださった方々
コメントを残してくださった方々
本当にありがとうございます!!



何から書いてよいのやら・・・
(PCの前に座ってすでに一時間経過)



毎朝、新聞を見るたびに胸が痛くなります。

普段の生活を取り戻すことが
東北の復興に繋がると信じています。




今日から息子の中学校が始まりました。

貴重なヨーグルトと小さな小さなりんご3個で
いつものノンオイルヨーグルトポムポムを作りました。

久しぶりにオープンから甘い匂いが漂って・・・
家族が笑顔でキッチンに入ってきます。

さぁ、今週から?今週こそ?丁寧に過ごしましょう。









夜になり余震が活発になっています。
どうぞ皆様お気をつけて。

今夜は節水も兼ねてお風呂は中止。
いつでも外に出られるような格好で就寝。

震災以来
一階の家具のない部屋で家族揃って寝ています。
この一ヶ月
我が家はますますお喋りが賑やかになりました。

まるで修学旅行の夜みたい・・・
もちろん枕投げは禁止です。